The Blue Rider – カンディンスキーと青騎士展

去る5月22日、兵庫県立美術館で開催中の『カンディンスキーと青騎士』展に行ってきました。『コンポジション』シリーズで有名なヴァシリー・カンディンスキーや動物シリーズのフランツ・マルクを中心とする表現主義芸術家のグループ「青騎士」。展覧会ではドイツのレンバッハハウス美術館所蔵の青騎士コレクションの中の60点以上に及ぶ作品を中心に当時の写真を織り交ぜながら『青騎士』誕生までを紹介します。5月26日に補足しました!(写真:兵庫県立美術館エントランス「カンディンスキーと青騎士展」看板 shot on May 22nd, 2011)

展覧会は時系列的に四部から構成されています:
序章:
フランツ・フォン・レンバッハ、フランツ・フォン・シュトゥックと芸術の都ミュンヘン
当時ミュンヘンで絶大な影響力を持っていた肖像画画家レンバッハ、そしてミュンヘン美術アカデミーでカンディンスキーに教授したフランツ・フォン・シュトゥックの作品を紹介。この時代にはまだ「青騎士」グループの原形すら生まれていません。

第一章:ファーランクスの時代:旅の時代 1901 – 1907年
恋人(事実上の二番目の妻)であるミュンターとカンディンスキーが運命的な出会いを果たしたファーランクス美術学校時代の作品、及び、二人が放浪の旅で制作した作品を紹介。ものごとを抽象的に表現することへの二人の挑戦がうかがえます。

第二章:ムルナウの発見:芸術的総合に向かって 1908 – 1910年
アルプスふもとに見つけた美しい村ムルナウでの青騎士予備軍とも言える同志との制作活動。青騎士グループの幕開け前夜が写真とともに紹介されています。

第三章:抽象絵画の誕生:青騎士展開催へ 1911 – 1913年
青騎士グループの理念が1911年の「第1回青騎士展」において遂に具現化されます。第一次世界大戦で離散を余儀なくされるまでの『青騎士』たちの作品を紹介。

上記構成をご覧いただければご想像がつくかと思いますが、本展覧会ではいわゆるカンディンスキーらしいカンディンスキー作品はほとんどありません。カンディンスキーがカンディンスキーになるまでの作品がメインです。このような展覧会ってともすれば、派手さに欠け、正直に言うと退屈でさえあり、「期待したほどじゃあなかったね」というのが率直な感想となることが多いように感じるのですが、今回のは一味違いました。

その構成(或いは、「ストーリー展開」と言ってもいいかもしれません)が素晴らしい。ミュンヘンにおける古い美術教育・美術界への反発から始まり、新たな芸術の形の模索、教え子ミュンターとの運命的な出会い、新しい芸術と愛を探し求めた二人の放浪の旅、ムルナウというアルプスふもとの村での牧歌的生活、抽象絵画の誕生、そして戦争によるこの芸術活動の終焉。この流れが順番に各時代時代の「青騎士」たちの写真を織り交ぜながらまるでドラマのように展開されます。旅の途中でミュンターが残した「物事の本質をとらえて抽象的に表現するということが最近できるようになってきた」という言葉は非常に印象的です。そして『抽象絵画の誕生』と名付けられた最後の部屋でようやくカンディンスキーの『コンポジション』やフランツ・マルクの牛が登場し展覧会はそのクライマックスを迎えるわけです。しかしながらこの希望に満ちた「青騎士」たちの新しい芸術活動も翌年に勃発する第一次世界大戦によってあっけなく終わりを迎えることになるのですが…

で、今回の展覧会のドラマの中で私が最も気になったのが、カンディンスキー(写真上)とそのパートナー(愛人、婚約者)、ガブリエーレ・ミュンター(写真下)の関係です。

実は私はこの二人が恋人同士であったということはそれまで知りませんでした。(ですから、以下、私の思いはドイツ表現主義・抽象主義や美術史にお詳しい方には「そんなことも知らんかったんかいな!」と感じられるかもしれませんが、お許しくださいませ…)

このガブリエーレ・ミュンターという女性は元々カンディンスキーが結成したファーランクスというグループによる絵画教室の生徒でした。師匠と教え子にありがちと言えばありがち、二人は「親密」になってしまいます。しかし、既に結婚していたカンディンスキーは(宗教上?)離婚できません。妻と愛人の両方がそばにいることの緊張感に耐えかねたカンディンスキーとミュンターは二人でオランダ、ドイツ、チュニジア、フランスなど各地を放浪し制作活動に励みますが、これが事実上の新婚旅行であったのではないでしょうか。

その後二人はミュンヘンはアルプスのふもとにムルナウという美しい村を見つけます。ミュンターはここに二人の老後のためにと一軒家を購入。そこにはアレクセイ・ヤウレンスキー、アウグスト・マッケ、フランツ・マルクなどが集い、活発な芸術論をかわし、後の抽象絵画誕生へと結びつく数々の作品が精力的に作られたわけです。

法律上の夫婦になれなかったこの二人の結末はどうなったのか。展覧会での説明によると、1914年に第一次世界大戦が勃発し、ドイツの敵国ロシア出身であるカンディンスキーはロシアへ帰国。独り残されたミュンターは一生をかけて二度の戦争やナチスからカンディンスキーをはじめとする青騎士グループの作品を守り続けた、とのこと。ふむ、戦争によって引き離されたのね、と思いつつ、最後に展示されていた年表に目をやると(*文言は正確ではないです)「1914年、カンディンスキー、祖国ロシアに帰る。1915-16年の冬、スカンジナビアにてカンディンスキーとミュンター、再会。1917年、カンディンスキー、ロシアにてロシア人女性と結婚」…え?えー?!ロシア人女性と結婚、しかもそんなすぐにですか?!彼は既婚者ではなかったのですか?だからミュンターとも入籍できなかったのではないのですか??なんともすっきりしません。展覧会の年表にはこのようなシンプルな記述しかなく、何故カンディンスキーが別の女性とそんなに早く結婚(再婚?)したのか、ミュンターは納得したのか、それとも二人の愛はもはや冷めてしまっていたのか、などということについてはまったく記されていません。私としては、ここまで出会いから15年間、恋人として夫婦として同志として歩んできた女性以外の女性とカンディンスキーが何故唐突に結婚してしまったのか、素直に考えると納得できませんでした。何があったのだろう。とても気になり帰宅後調べてみました。

帰宅後調べてみてわかったことは:1916年に最後に再会したのちカンディンスキーはぱったりと消息を絶ちます。彼の身を案じた(そして結婚の事実など想像だにしなかった)ミュンターは警察に依頼し彼を探し続けます。そして数年後、ようやくカンディンスキーが雇った弁護士を通じて彼の結婚、裏切りを知るにいたります。カンディンスキーは彼女に会うことを拒否し、弁護士を通じて彼の作品をはじめとする全ての所持品を彼のもとに送るよう指示してくるのですが、そのような終わり方が納得できない(当然ですね)ミュンターは条件として二人が過ごした15年間、彼女は彼の正式な婚約者であったことを書面に記して残すことを要求します。そして彼に返却する作品も一部のみで、残りはすべて彼女所有のものとする約束もとりつけます。

失意のどん底にあったミュンターは、その後ほとんど制作活動を行なわなくなってしまったそうで、残りの人生を青騎士の作品を守ることに捧げます。また、その作風も一生大きく変わることはなかったそうです。カンディンスキーが結婚し、子供をもうけ、さらなる芸術活動を展開していったのとは対照的にです。おそらく彼女の人生の時計はカンディンスキーの裏切りを知った時に止まってしまったのではないでしょうか。

思えば、ミュンターが二度の戦火から青騎士グループの作品を守り通したのも単なる芸術の保存が目的であったのではなく、二人が共に過ごした時間の証、まさに二人が生み出した二人の「子供」を無かったことにはしたくないという女の意地と執念であったのでしょう。

カンディンスキー自身がどのような状況・考えで彼女を捨てたのかはまだ勉強不足で知りませんのでフェアではないかもしれませんが、なんだか私の中で彼がすごく「嫌な奴」となってしまいました。本当の芸術家というものが一番愛しているのは、結局、自分と自分の作品ということなのかもしれません。

■追記(2011年5月26日早朝)■

カンディンスキーがどういう事情でミュンターと別れたのか、単に戦争だけが理由ではないはずとさらに調べましたところ、『Olga’s Gallery(http://www.abcgallery.com/)』という美術史サイトにて『Three Wives of Wassily Kandinsky(カンディンスキーの三人の妻)』と題された面白い記事を発見しました。この記事の根拠となる情報源(カンディンスキーやミュンター自身の言葉なのか、周囲の言葉なのか、或いは周知の事実なのか等)については記事には記されていませんでしたので、それが100%真実であるとは断定できないのですが…

その記事によりますと:
ミュンターがカンディンスキーの可愛い生徒であったうちは彼にとって彼女はインスピレーションを与えてくれるミューズでした。しかし、やがて彼女もアーティストとして成長し、独自のスタイルを確立し始めます。そしてついにはカンディンスキーに逆に彼女が影響を与えるようにまでなります。しかしそれはカンディンスキーにとっては喜びではなく苛立ちでしかありませんでした。ですから第一次世界大戦の勃発は彼にとっては彼女から逃げる恰好の言い訳だったのです。(『カンディンスキーと三人の妻』より抜粋・要約)

その後カンディンスキーが再婚した女性は27歳年下、ミュンターのような芸術家ではない普通の女性であった(メイドであったという説もあります)そうです。このことや、ミュンターが彼の教えを必要としなくなった段階で彼の彼女への愛が苛立ちに変わってしまったということから考えますと、どうもカンディンスキーは、あくまで自分を尊敬し、自分に優越感を与えてくれるような女性を求めていたのかもと考えてしまいます。いずれにせよ、やっぱりちょっと「嫌な奴」ですw。

■追記ここまで■

参考:『カンディンスキーと青騎士』展で紹介されている作家:

ヴァシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky, 1866-1944)
ガブリエーレ・ミュンター(Gabriele Munter, 1877-1962)

フランツ・フォン・レンバッハ(Franz von Lenbach, 1836-1904)
フランツ・フォン・シュトゥック(Franz von Stuck, 1863-1928)

アレクセイ・ヤウレンスキー(Alexei Jawlensky, 1864-1941)
マリアンネ・フォン・ヴェレフキン(Marianne von Werefkin, 1860-1938)
フランツ・マルク(Franz Marc, 1880-1916)
アウグスト・マッケ(August Macke, 1887-1914)
パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940)

兵庫県立美術館
神戸市中央区脇浜海岸通1丁目1-1(最寄駅:阪神岩屋。三宮から海辺を歩くと1時間弱)
兵庫県立美術館・『カンディンスキーと青騎士』展公式WebSite:
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1104/index.html

*ブログ『Days in the Bottom of My Kitchen』 2011.5.25掲載

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