S・アゴスティ監督「ふたつめの影」+トーク

元町映画館にて現在開催中の「アゴスティの世界」で上映されている『ふたつめの影』を観にいってきました。この日は京都大学人文科学研究所研究員の松嶋健氏(注:ご本人も冒頭に念を押しておられましたが、精神科医(医師)ではありません)によるトーク(聞き手は大阪ドーナッツクラブの野村雅夫氏)もあわせて開かれ、専門家によるお話しをうかがえるチャンスを逃すまじと駆けつけたのでした。

イタリアの精神医療改革にのぞんだバザーリア(本作品の主人公のモデル)や、バザーリア法についてわかりやすく説明していただき、とても有意義な時間が過ごせました。ただ、残念なのは、時間が少々短く、もっともっと聞きたいことがあったということです。

映画『ふたつめの影』は、イタリアにおいてすべての精神病院を違法とする「バザーリア法」の生みの親となった精神科医フランコ・バザーリアの体験に基くストーリー。イタリアの片田舎ゴリツィアの精神病院に院長として赴任してきたバザーリア氏がそこで見た悲惨な状況。彼は患者たちに「自由」を与え、最終的には町と精神病院を隔離している壁の破壊、患者の解放を成し遂げる。

「職員からの虐待は酷いものだった。しかし、自分のふたつめの影に逃げ込んだ時、何も感じなくなった」映画の中である年老いた患者がぽつりと告白した言葉である。

松嶋氏のお話しによると(以下、★まで松嶋氏のトークを要約):「ふたつめの影」とはバザーリア自身が指すところの「分身」である。この分身(=ふたつめの影)とは、精神病院という枠組みに適応するために患者自身が作り出したものだ。患者はそこで楽に生きていく(適応する)ために、「ふたつめの影」に逃げ込む。患者自身が選んで逃げ込んだ先なのである。つまり自由を阻む敵は精神病院のみではなく、患者(そして我々)の内部に存在するのだ。

では、「ふたつめの影」から患者を引きずり出し、自由にしてやればそれで事は解決するのか?そうではない。「(隔離)精神病院」という箱が存在している限り、外の世界で生きにくくなった患者達(そしてその周囲の人間もそう望むのかもしれないが)は結局また、壁の向こうの隔離された世界に戻り、自分の「ふたつめの影」の中に入ることで自らを守ることになる。

つまり、隔離精神病院そのものが存在している限り、これは終わらないのである。バザーリアは精神病院そのものを悪と考えたわけではない。当初はそこできちんとした「治療」を行なおうと努力したという。しかし結局、上に述べたようなこと(精神病院の存在そのものが患者の自由な心を奪うことになる)に気付いたとき、精神病院を廃止する(違法とする)しかないという答えにたどりついたのだろう。(★松嶋氏のトークより筆者要約)

冒頭近く、「自分を健康だと思っている人間をどうやって治すことができようか」というセネカの言葉が引用される。この言葉は後にも繰り返し使用されることになるのだが、(個人的体験のせいでもあるのですが)これはやはり心にちくりと突き刺さる。通常、人は病を自覚し、その苦しみから逃れる或いは苦しみを軽減させたいということで治療に取り組む。しかしながら精神病患者の場合、この病の特殊性でもあるのだが、問題を自覚していない場合が少なくないと思われている。この場合、彼らを病院に閉じ込めて「治療」(或いは正確に言うと「隔離」)することは正しいことなのだろうか。それは患者自身の為の「治療」なのであろうか。もっとあからさまに言うと、周囲の人間のための措置ということなのではないだろうか。松嶋氏によると、バザーリア法施行前のイタリアの精神病院はこの「治療」はまったく行なわれていなかったという。それがバザーリアに精神病院の存在について疑問を抱かせた発端であろう。精神病院は医療の場ではなく、まさに「収容所」と化していたのだ(正確に言うと、もともと「医療の場」として始まったのではなく、ちょっとおかしな人を集める「収容所」として始まったのであるから当然と言えば当然なのであるが(松嶋氏))。

ここであることに気付く。セネカの言葉の中の「自分を健康だと思っている人間」を、この映画において精神病患者そのものと解釈してよいのだろうか。アゴスティはこの言葉をそのままの意味、つまり「精神病患者の治療の難しさ」を表す言葉としてこれを引用したのだろうか。精神病患者は自分の病や異常さに気付いていないというのであろうか。もっと言うと、彼らは苦しんでいないと言うのであろうか。

私の答えはNOである。これは周囲の人間にとって都合のよい解釈なのである。狂人は何もわかっていない(正しいと思って行動している)のであるから、苦しみなどない、そう解釈するほうがわかりやすいし楽である。管理しやすいのだ。

ふたつめの影に逃げ込むと何も感じない、苦痛を感じないということは、その状態がセネカの言うところの「健康」である状態ということになるのではないだろうか。これでは治療など望むことはできない(患者本人が快適なのであるから)。つまり、治療不要の状態を作り出しているのは他でもない精神病院なのである。

劇中バザーリア医師は「壁を自分達で壊すことが重要なのだ」と言う。自分達で作り出した影は自分でしか消せないということなのか。エンディングの壁の破壊は、患者たちを縛り付けるふたつめの影を生み出す存在、病院そのものの破壊の象徴なのである。この建物が物理的に存在している限り、彼らは「ふたつめの影」から自由になれないのである。

本作品のエンディングを見て「カッコーの巣の上で」を思い出したのは私だけではないだろう。あの映画のラストでも、(実は原作の小説では主人公(語り部)である)ネイティブアメリカンのチーフが最後に独り、大理石の給水台のようなもので鉄格子を破壊して自由へと向かって歩き出す。チーフはそれまでは外に出ることを拒んでいたのに、だ。

トークで野村氏が松嶋氏に「映画でのラスト、患者達が壊された壁の向こうへと町へと歩き出します。あれは象徴的な行為ですか?それとも現実的な行為と見ますか?」という主旨のことを質問され、松嶋氏は「両方である」と答えられた。この辺りが「カッコーの巣の上で」(或いはアメリカの精神医療の現場)との違いであろう。つまり、「カッコーの巣の上で」で描かれたラストはあくまでシンボリックな行為であり、実際に全ての患者達が壁の外と歩み出てコミュニティと共存していくということはまだ(制度上、そして人々の心の準備としても)不可能であるのに対し、イタリアでは実際に法律によって「壁」を廃止したのである。これは受け入れる側にも大きな決断と勇気が要求されることである。きれいごとを言えば、精神障害者であっても同じ人間なのであるから隔離するなどというのはよくないと言ってしまえるのであるが、実際にそれを我が身に突きつけられたとき、「はい、皆さんを解放して、うちの子供達が遊ぶ公園で一緒に遊びましょう」と果たして我々は言えるだろうか。実際に映画の中でも「自由」を得た患者が塔から飛び降り自殺をするシーンがある。このような自傷他害の可能性をも受け入れることが、例えば日本でも出来るのであろうか。

実はトークの質問コーナーで、実際に精神病院に入院しておられ、先週(だったと思います)退院されたばかりという方から「映画での精神病院はかなりソフトに描かれている。本当の精神病院は垂れ流しなど日常茶飯事、まさに地獄絵図」という指摘があった。思うにアゴスティが描こうとしたものは、精神病院の実態の赤裸々な姿の暴露とか、ショックを与えるということではないと私は考えるので、描写がソフトであることには何の問題もないだろう。それよりも、壁の中にいる患者、医療者、そして壁の外にいる我々、の中にある、自由を阻む存在(=壁)、そしてその壁の破壊がいかに重要であるかということなのではないだろうか。

本作品はラストの「壁の破壊」による「行為の自由の獲得」が非常に印象的である。しかし、本当に倒すべき相手は「壁(=精神病院)」そのものではない。壁の破壊による「ふたつめの影」の抹殺、それにより得られる心の開放が何より重要であるということではないだろうか。

■トークで出たその他のエピソード■
・当時(1978年のバザーリア法により精神病院が廃止されるまで)、精神病院の院長はすべて政府(内務省)により指名、派遣されるものであり、その仕事の内容は「治療」ではなく「管理」(患者をいかにコントロールするか)であった。まさに収容所の所長のようなものである。なので院長が医師である必要性はまったくなかったのである。

・当時のイタリアの精神病院の9割は公立であった。バザーリアは院長としてゴリッツィアの病院に赴任してくるまでは大学病院内の精神科(私立)に勤めていたのだが、この大学病院で扱う患者というのは裕福な層であり、公立の精神病院とは全く異なる。医療においても大きな所得格差というものが存在していたのだ。

「ふたつめの影」(原題 “La seconda ombra”)
製作:2000年 イタリア
監督・原案・脚本・撮影・編集:シルヴァーノ・アゴスティ
音楽:ニコラ・ビオヴァー
出演:レーモ・ジローネ ゴリツィアとトリエステの旧精神病院入院患者約200名
配給:大阪ドーナッツクラブ

私的評価:★★★★☆ 82点
大阪ドーナッツクラブ公式HP: http://www.osakadoughnutsclub.com/
神戸・元町映画館公式HP: http://www.motoei.com/

  
S・アゴスティ著「罪のスガタ」と「誰もが幸せになる-1日3時間しか働かない国」。どちらもこの日のトーク・ゲスト、野村雅夫さんの翻訳です!

*ブログ『Days in the Bottom of My Kitchen』 2011.4.24 掲載

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