アンドレイ・タルコフスキー監督「惑星ソラリス」


皆さま『良心』というものをお持ちでしょうか。手元の小学館国語大辞典によりますと、良心とは「人間が生来もっていて、物事の是非・善悪を判別する統一的意識。また、自己の行為の善悪・正邪を識別する理性」だそうです。映画『惑星ソラリス』はそんな人間の良心をずきずきと痛ませる見たくないものを人間に見せつけてくる生命体「ソラリス」のお話しです。(写真:神戸市中央区元町商店街四丁目元町映画館前の看板)
もう名作中の名作ですので説明の必要はないのですが、とりあえずあらすじをざっと書いておきます:近未来の地球において知性を持つ謎の生命体(或いは謎の『海』)ソラリスの研究が続けられていた。しかし、研究は途中から難航し、発展をみないまま終わらされようとしていた。やがてソラリス探索のために作られた宇宙ステーションからの交信も途絶え、その調査のために学者クリスは宇宙ステーションへと派遣されることに。しかしそこに到着したクリスが目にしたものは、ソラリスが作り出す恐ろしい幻影だった…
大切な人が死んでしまった場合、ことにそれが自殺によるものである場合、残された者の心の中にはいつまでも後悔と懺悔の気持ちが残り続ける。『惑星ソラリス』の主人公クリスも妻を自殺で亡くした男。あの日自分があんな行動を起こさなかったら妻は死んでいなかったかもしれないという思い。そのような心の闇を、或いは自分の良心が最も痛む部分を、ソラリスは具現化し目の前に投げつける。以前どこかでソラリスは「優しい海」だという形容を読んだことがあるが、私としては、とんでもないという思いである。拷問にも近いことだとわかっていて、そんなものをこちらによこしているのだ。絶対に見たくないものなのである。そして映画の中ではこれを『罰』と呼ぶ。
愛する者が自ら命を絶った場合、その人のことだけを考えて泣き暮らしている間は楽なのである。生活のすべてをその人を思うことだけに捧げ、何も見なくてよい。ただただ泣いているうちに時が過ぎていく。やがて一生こうして生きていくのだろうなという錯覚に陥る。しかし数年たったある日、その人のことを考えていない自分に、笑っている自分に気付き愕然とする。その人を忘れていく自分にひどいショックを受ける。そしてそのことにまた心がずきずきと痛む。
人の死をとめられなかった罪悪感というものは案外自分でも認めやすいものだ。自分の心の底にある暗いもの、それはその死をとめられなかったということ、ああ、なんて苦しいんでしょ、と(こんな風に)はっきりと自覚できるものなのだ(あくまで個人的な体験なので一般論化するのは危険だろうが)。
クリスらステーションに残された研究者らに対してソラリスがよこしたものは、そのような、人には言えないが心の奥にしまってある闇であり、ソラリスが彼らに与える罰だった。映画の終盤、研究者達はこの幻影に打ち勝つ方法を見つけたかのように見えるのだが、そこにはさらに恐ろしいソラリスの反撃が待っている。ここまで書いたように、ソラリスがそれまで作り出していたものは自覚できる範囲内の闇。最後の最後でソラリスがよこしたものは、そんな心の奥の闇よりもはるかに深い、自覚できないほどになるまで目をそむけ続けてきた『恥』。この美しくておそろしい海には優しさなどみじんもない。
私は原作を読んでいないので断言はできないのだが、調べたところによると、ベースとなった小説『ソラリスの陽のもとに』では、決して理解しえない相手を理解しようとする(つまりこの知的生命体ソラリスは何を考えているのかということを解明しようとする)物語であるそうだ。それは、無駄ではあっても、外、或いは他者への働きかけである。一方、映画『惑星ソラリス』はというと、まるで真逆なのだ。主人公クリスはどんどんどんどん自分の中へ中へと入っていき、ついにはソラリスにのみこまれてしまう(或いは、個人的にはクリスの中にソラリスがあるようにも思える)。観るたびに私も自分の中のソラリスへ入っていくような気持ちになる。
SF映画はあまり好きではない私にとって『惑星ソラリス』は特別な映画。ここまでの私の文章を読まれた方の中には「お前、ソラリスが嫌いなんか!」という印象を持たれた方もいるかもしれない。しかし、そんなことはまったくなく大好きな作品なのである。ソラリスについて、「優しさなどみじんもないおそろしい海である」と書いたが、あの海に対する嫌悪感のようなものは決してわかないのである。何故だろう。私も罰を与えてほしいなどと心のどこかで思っているのだろうか。こう書いているうちにも答えがぼんやりと見えてきたが、今回はこのあたりで… 『惑星ソラリス』を含むタルコフスキー映画祭は元町映画館にて11月23日までです。

「惑星ソラリス」(英題 “Solaris”)
公開:1972年 ソ連
監督:アンドレイ・タルコフスキー
出演:ナタリア・ボンダルチュク、ドナタス・バニオニス

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