ウォン・カーウァイ監督「ブエノスアイレス」


男と女って同じだろうか。或いは、異性間(つまり男と女)の恋愛は同性間(男と男、女と女)の恋愛とは違うのだろうか。ゲイであろうとヘテロであろうと何も違わないよ、などと言う声が聞こえてきそうだが、それは理想或いはきれいごとであると思う。男と女は違うのである。そして異性愛と同性愛も違うのである。もちろん、あらゆる事を一般化してしまうのは私もどうかとは思うし、様々な個性が存在するのであるからもちろん例外もある。(写真:元町映画館看板)
恋愛とセックスは切っても切れないもの。動物として見た場合、男は1週間で10人子供を作ることも可能であるのに対し、女はせいぜい1年に1人。男は射精するたびにほぼ確実に(肉体的に)最大の快感を得られるのに対し女性は常にそうであるとは限らないし一生それを知らないですごす女性も数多く存在する(ある統計では女性の約半分とか!)。崇高なる「愛」を語る時、このようなことは下世話なことに聞こえるかもしれないが、この事実は恋愛に対する姿勢に対して間違いなく影響しているはず。また、男は自分の子供がどこかに存在していたとしても知らずに一生過ごすことも可能である(つまり、やりにげ)のに対し、その腹の中に命を宿す女性にとってはそんなことはありえない。男性は「セックス=父親」という構図は知ってはいても実際は意識していないのに対し、女性は常にどこかでそのこと(自分が母となること)を意識せざるを得ない。生まれてくるまで十月十日もかかるのであるから、野生の動物であった頃の人間の男は何かを育てるということを意識などせず一生子供のままだったのではないだろうか、などとも思ってしまう。実際、象やライオンなどの哺乳類の多くはオスは発情期にのみやってきて性交を行い、用がすむと群れを出ていき、また独りで生きる。メスたちは集団で子育てをして暮らしているのに。
もちろん時代は変わり人間はもはや野生動物ではないし、男の人にも「父性」というものがちゃんと芽生える。しかしながら、女性が年を重ねるにつれて立派なおばちゃんとなり現実とうまくやりあっていくようになるのに対し、男性はどうもいつまでもどこか少年のようなところがあるように思える(もちろん、例外も多数あるのはちゃんと知っています)。だから男と女はうまくバランスがとれているのだろう。多くの男が外で飲んだくれたり遊んだり趣味に没頭したりええかっこしたりするのを優しく厳しく見守ってくれる女が必要なのだろう。このような関係は同性愛でも十分成り立つ。しかし今回の映画「ブエノスアイレス」での二人はそうでなかった。二人とも男の子だったのだ。そしてそれが悲劇につながってしまった。
二人の男、ファイとウィンはまるで二匹の野良猫のよう。仲良くしたいのに、この世で誰よりもそばにいてほしいのに、牙をむきあって相手を傷つける。映画では一見ウィンが好き放題している魔性の男であり、ファイはそれに振り回される女々しい奴のようにも見えるのだが、どうしてどうして、ファイも相当にプライドが高くて傷つきやすい、まるで十代の男の子のようなやつなのだ。手に怪我を負ったウィンとの暮らしを「幸せだった」と感じながらも、顔つきはいつも不機嫌であるし、食事を作ってあげても「作ってやったぜ、ほら食えよ」と言わんばかりの乱暴な振る舞い。なんだかもう本当に二人とも反抗期の中学生の男の子のよう。どちらかが「女」或いは「大人」となって、もっと素直に感情を表現して相手を包み込めれば二人は傷つかずにすんだのであろう(まあ、それでは映画にならないのですが…)。そして、男と男であるということは相手への容赦ない暴力となっても現れる。よほどひどい奴でないかぎり、女性に暴力を振るったり本気で突き飛ばしたりできる男はそういない。しかし男と男であるということが相手への(不満を表す方法として)遠慮ない暴力まがいの行為を生み出し、また傷つけあってしまう。そして結局お互いの愛を確かめ合うのはむさぼるようなセックスによってのみとなる。以前、何かというと「うそー、やだー、かわいい!」という若い女性が「頭が悪い」などと言って揶揄されたことがあるが、可愛いものを見て「かわいー!」と、信じられないものを見て「うそー!」と躊躇なく言える女の子やおばはんや真に乙女なおかまちゃんがいるから世界はかろうじて滅亡していないことに、頭の固い人々は気づくべきである。
先にも述べたように、男はセックスをするということについては女よりずっと軽々とその壁を乗り越える。故にゲイの関係というものはセックスがまずありき(或いはそれだけ)ということになってしまうことも多いのではないだろうか。なのに何故、この作品の二人の関係はこんなに純粋に見えるのだろう。もしかしたら、したたかな女どもより男のほうがずっと純でずっと愛を求めている動物なのかもしれない。
「僕は確信した。会いたいとさえ思えばいつでも会える」というファイのラストのモノローグ。終始切なくて乾いていてざらついたこの映画に何かぱっと光が射したような気がした。監督自身がファイとウィンはその後もよりが戻ることはないとおっしゃっていたという記述を読んだことがあるのだが、それでも敢えて私は思う。ファイはいつかすべてが整ったらウィンと再開するだろう。そしてその時にはファイのほうから、微笑みながら、「やり直そう」って言うのだろうと。

「ブエノスアイレス」(英題 “Happy Together ”)
製作:1997年 香港
監督:ウォン・カーウァイ
撮影:クリストファー・ドイル
出演:レスリー・チャン、トニー・レオン、チャン・チェン


4月27日まで元町映画館で上映中!日本ラスト上映をお見逃しなく。

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