鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」


小説を原作とした映画というものはこれまで沢山作られてきたのですが、大抵が小説のほうが結局おもしろいような気がします(あくまで個人的な感想ですが)。文字によって表現された世界を読者は自由に、最高と思われる形で、脳内で上映できるのですから無理もないかと思います。しかしですね、『ツィゴイネルワイゼン』だけはこれにあてはまらないのです。(写真:神戸市中央区元町商店街四丁目元町映画館前の看板)
映画『ツィゴイネルワイゼン』は内田百閒氏の短編小説『サラサーテの盤』をベースに同氏の多の複数の小説(『山高帽』など)の要素も取り入れた作品。劇場で『ツィゴイネルワイゼン』を鑑賞した後、どうしてもこの『サラサーテの盤』を読んでみたくなった私は翌日すぐに図書館へと。というのも、この短編小説はわずか20ページほどの作品だそうで、そこに描かれている世界をどうやって2時間以上の映画に作り上げたのか、とても気になったのだ。実を言うと、私はこれまで内田氏の小説を読んだことがなかった。幻想文学というものがどうも苦手だったのだ。
20ページの作品なので本棚の前に立ったまま十数分で読めてしまう。読後(正確には読み始めてすぐ)の私の感想は「なんじゃあこりゃあ!!なんて、なんて、なんて美しい文章なんだあ!」というものであった。巻末のあとがきはかの三島由紀夫氏によるもの。その中で三島氏は「受けるとわかっている表現をすべて捨てて、いささかの甘さも自己陶酔も許容せず、しかもこれしかないという究極の正確さをただニュアンスのみで暗示している」と記し、説教臭さやメッセージや意図というものを全て排除した真に純粋な芸術であると絶賛。内田氏のひたすらに美しい文章、三島氏の的確な指摘を読み、そうか、これだったのか!と私の中にあったぼんやりとした疑問がすべてクリアに。
実は『ツィゴイネルワイゼン』において鈴木清順は「美」というもの以外に何を言おうとしたのか、ずっと考えていた。しかしそれは無駄な抵抗だったのだ。三島氏が言うように、内田氏の小説同様、そこには何のメッセージも説教もないのである。おそらく、ひたすらに美しい内田氏の幻想を、同じくらいに、いやそれ以上に美しい映像に仕立て上げることがこの映画のすべてだったのだろう。

原作となった小説と映画で数点大きく違っている点がある。本作品では原田芳雄の色気がたびたび取り沙汰されてるが、実は彼が演じる中砂は原作の中ではかなりまともな男性。ジプシーのように放浪もしないし女をモノのようにも扱わない。作中の影も薄い。しかし鈴木清順はこの男をとんでもなく「自由」で「狂気」を帯びた、しかしそれでいて魅了されずにはおれない人物として描いている。そして原作には一切うかがえない「ホモセクシュアリティ」。藤田敏八演じる青地の中砂に対する恋心とも言えるような憧れだ。
三島由紀夫氏の解説を読むまでは、物語の中で一体狂っている者は誰で、正気な者は誰なのだろう。もっとわかりやすく言うと、観客は誰の夢を見さされているのだろうなどと考えていた。しかしこのような分析というような行為はおそらく不要なのだろう。私は実は次のように考えていた。
ここからは私の勝手な妄想である。もっともまっとうな人間であるかのように見えた青地だが、実は彼が一番狂気に近いところにいた、或いは夢とうつつの間を常に行き来していたのでは。そしてすべてが冒頭から彼の見た夢や欲望だった。それは中砂への憧れ、いっそ中砂になりたいというおもい。青地が思うところの中砂にふさわしい女性というもののイメージはひとつである。だから中砂の女が死んでいくたびに現れる女はすべて同じ姿をしている。それは肉や血という生身の人間につきものの存在を一切感じさせないような女。透き通った骨を持つ女。顔こそ映らなかったが、おそらく冒頭で自殺する中砂の女もあの顔をしていたのだろう。青地の幻想に登場する者たちは皆役目を終えると死んでいく、或いは青地が殺していく。しかし死なない女が、青地の筋書き通りに行かない者が一人。小稲(大谷直子)だ。中砂と青地と小稲が三人で、旅先で出会った盲目の三人の門付けについて話している時のこと、「男二人は女をめぐって殺し合いをし、女は海に流されていった。あんなおもしろい殺し合いは見たことがない」と言う中砂に対して小稲は「あの三人は夫婦になりました。三人で夫婦になりました」と否定する。小稲が青地の幻想を否定する一方で、幻想の中の中砂は暴走していく。中砂は生まれた長女に青地の名前をとって「豊子」と名付ける(小説では「きみちゃん」であり、この点が大きな違い)。その内、ついには青地の妻とも肉の関係に。もしかしたらこれも青地が望んだことかもしれない。しかしそろそろ彼を止めなければ。そうして中砂も死ぬ。しかし小稲だけは何年たとうとも死なない。まるで亡霊のようにいつまでも青地につきまとう…。
などということも考えたのだが、このような分析や辻褄合わせはまったく無駄であった。もともと思想だの理屈だの一貫したストーリーだのというものを排除し、真に純粋な美を追求した結果がこの映画なのであろうから。

「ツィゴイネルワイゼン」
制作:1980年 日本 荒戸源次郎 145分
監督:鈴木清順
出演:原田芳雄、大谷直子、藤田敏八、大楠道代

本作は明日2月24日まで元町映画館にて上映!急げ!
*下写真:元町商店街四丁目元町映画館前

コメント

  • 三島解説の唯美主義が、本作の基調なのだろうが、レコード に刻まれた謎の音声を探ろうという展開がこの映画の醍醐味なのでしょう!最近、ジャン・ルノワール監督の(ピクニック)を観た後にモーパッサンの短篇原作を
    読みただただシンプルなのですが、映画化されると
    モノクロームの詩情漂う、なんという幸福感に充たされるものか考えさせられました。

    2015/06/27 06:56 | PineWood

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