ヴィム・ヴェンダース監督「パリ、テキサス」

『パリ、テキサス』は私的大好きな映画ランキングにおいては『ワイルド・アット・ハート』と並んで三番目にランクインする作品です。今から25年ほど前(つまり公開時)に観ました。作品に関する予備知識はほとんどなく、ただただナスターシャ・キンスキーの美しさに魅かれて観にいったというのが正直なところであります。ですから、(私以外にも同様の勘違いをされた方がきっといらっしゃるかと思いますが)漠然と、フランスのパリとアメリカのテキサスを結ぶロードムービーなのかなあと思っていました。なので見てびっくり。フランスなんて出てこないじゃないの!ということです。しかしそういうことは映画が進んでいくうちにもうどうでもよいこととなっていました。この作品のことを「長すぎて寝てしまった」などと言う人がたまにいますが、寝るなんてとんでもない!その映像美と寂寞とした空気感に最初から最後までもう釘づけでした。あの独特の寂しさは、やはり”アメリカ”という場所でないと出せませんね。で、ここであらためて考えてみましたところ、2004年にデヴィッド・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』を観るまではずっと長い間、私的映画トップスリーが、何故かすべてロードムービーであるということに気づきました…今更ながら。 そしてさらに、この三位二作品の両方にハリー・ディーン・スタントンが偶然にも出演しているのです!(他にもジョン・ルー・リーが偶然両作品に出ていますね) しかし『ワイルド・アット・ハート』の同氏は本作品とは全然違っていて、それもまた良かったですねえ。ちなみに『ワイルド…』主演のニコラス・ケイジは、この作品がピークだったのではと個人的には思っているのですが…

『パリ、テキサス』は心に巨大な空白を抱えた虚ろな男、トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)のお話です。「心に空白を抱えている」というよりは、もう彼自信が「空白」或いは「無」であり、画面に映し出される砂漠は彼自身でさえあるかのように感じられます。迎えに来た弟、過去の8ミリ映画の思い出、息子の存在などから、こちらは彼が元々こういう男ではなかったということがわかってきます。しかし、なぜ?何が彼に起こったのか? ここで注意!本作品をまだ観ていらっしゃらない方で、重要なシーンについての予備知識はまったく欲しくない!という方は、次の長い段落は飛ばしてください。と言っても、結構曖昧な表現をしていますので、いわゆる”ネタバレ”にはならないかなとも思うのですが、念のため。実際のところ「ネタバレ」ってどこまで喋ると「ネタバレ」なのか、私、よくわからないんですよねえ。浜村淳さんなんてある意味ネタバレ・オンパレードっていう感じですし。まあ、あれはあれで、彼の味とも言えるのでしょうが… 個人的には、私は故淀川長治さんの上品さがとても好きでしたが。

話を本題に戻します。作品の後半、映画史上に残る名シーンであります「覗き部屋」のシーンで、彼に何が起こったのかが明らかになります。ここまでは台詞や説明ではなく映像でほとんどを語ってきた物語が一転、トラヴィスの”I knew these people”という言葉に続く、元妻ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)へのマジックミラー越しの長い長い『告白』が始まります。I Knew These People物語の核心を観客に伝えようとするときに言葉による説明を使うという手法は、私は個人的には好きではないのですが、三人称を用いたこのシーンの演出は特別です。もう圧巻!この映画の中で(いや、全映画の中でも)大好きなシーンの一つであります。そう言えば、同監督の『ベルリン 天使の詩』のラスト近く、バーでようやく主役の二人が”再会”(あえて『再会』と呼ばせていただきます)するシーンでのマリオンの独白シーンも素晴らしかったですね。トラヴィスの告白の最後の台詞 “(He ran like this) until every sign of man had disappeared (男は、すべてが、自らの痕跡が、この世から完全に消え去るまで走り続けた)” に現れているように、彼は自らその存在を無に帰したのです。「無」になることでしか愛する妻に再会することができなかったのでしょう。そしてこれは妻ジェーンにしても同じこと。トラヴィスの告白によると、彼女は彼を燃えさかる火の中にほとんど見殺し(或いは殺人でしょうか?)にしました。その時に彼女の中でトラヴィスは確実に死んだのです。しかしながら、マジックミラー越しに彼女は言います、「(この4年間)いつもあなたとここで話をしていた」と。彼女はいったん自分の中で彼を殺すことでしか彼を再び愛することができなかったのではないでしょうか。ここでこの二人の間にあるものは「亀裂」や「溝」などといったなまやさしいものではありません。ここにも巨大な空白が存在し、どんなに愛していようが、もう二人が再び一緒になることはないということは明白であります。互いが互いにとって「無」の存在である状態でしか、相手を愛することができないのです。もう少し言うと、ジェーンはトラヴィスを愛するにあたって、トラヴィスは必要なかったということではないでしょうか。誤解しないでいただきたいのは、これは肉体は離れていても心はつながっているというような類のものではないということです。このようなつながり方、ちょっと言葉では説明しにくいので (実はここまでトラヴィスとジェーンのつながりを『愛』という言葉を使って表現していますが、実はこれもなんか違うのですよねえ… 「なんか」というより全然違うと言ってしまったほうが適切かもしれません。まあ、この映画を私ごときが言葉で説明しようとすることが、どだい無理なのかも。でも、何か良い言葉はないでしょうかねえ)、他の表現者の方々の例(あくまで私がそう感じるということですが)を少しあげますと、大貫妙子さんがご自身作詞の『ひまわり』の中で歌っている『心に触れるよりも近くで』という歌詞、また、先に述べたマリオンと天使の再会、村上春樹さんの小説『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、さらに述べますと、『うる星やつら』で有名な高橋留美子さんのアニメ作品にも同じような世界観を時折感じます(この意見にはなかなか賛同してもらえないのですが…)。ちなみに漫才コンビ・サバンナの八木ちゃんが”まだ見ぬ君”への想いとその彼女との日々を綴った日記を書いておられますが、あれは単なる”妄想”ですね… 尚、この告白はオリジナルサウンドトラックに『I knew these people (邦題 なつかしき人々) 』というタイトルで収められていますので、映画すべては眠くて見られなかったという人や、この部分だけでも聴いてみたいという方は、是非聴いてみてください。嬉しいことに、CDにはこの部分の英語スクリプト(写真中段)もついています。

映画の見方や解釈は、特に本作品のように映像から多くを感じとる作品は、人それぞれ異なりますし、そうあるべきだと思います。多くの方がこの映画は「失ったものを取り戻すための男の旅である」とか、「家族の再生の物語である」とかなどという主旨のことを書いておられます。しかし、私の感じ方は、ここまで書かせていただいたように、どうもこれとはかなり違うのですよねえ… トラヴィスは自分の壊したものを少なくとも部分的に修復しようと試みますが、その完成図には決して彼は含まれていませんし、家族の再構築など目指してはいなかったのではないでしょうか。これは彼の「贖罪の旅」なんです。脚本のサム・シェパード氏も「壊れてしまったのは三人の関係ではない」と語っているという記述をかつて読んだことがあります。

サム・シェパードと言えば、ヴェンダース監督は当初彼にトラヴィス役を依頼したそうですが、シェパード氏は、自分の作り出した役柄を演じることは出来ないと断ったそうです。個人的な意見ですが、結果としてハリー・ディーン・スタントンで正解だったのでは。だってサム・シェパードだとちょっと格好良すぎるような気が… また、(僭越ながら…) あの”からっぽ”感がサム・シェパードで出ていたかどうか…(最近のちょっと”おっさん”化した彼しか知らない若いご貴兄は是非、『女優フランシス』や『天国の日々での彼をご覧ください!)

ところで、『パリ、テキサス』は、半分彼の作品でもあるとも言えます。あのアメリカの乾いた寂しさは(これまた僭越ながら)シェパード氏独特のものであり、ヴェンダース監督だけでは出てこなかったんではないでしょうか。

もう一つ、この映画で非常に印象的な(そして私自身大好きな)シーンがありまして、それは橋の上で叫び続ける狂った男の横をトラヴィスがただ通り過ぎるだけというシーンです。男は “There will be no safety zone! (安全な場所など、もう存在しないのだ)” と叫び続けます。まるで「お前は消えたつもりでも私にはちゃんと見えている。どこへ行こうともお前には安全な場所などないのだ」という悪魔の声のようにも聞こえます。

それにしても、ナスターシャ・キンスキーは美しかったですねえ。いつまでも見ていられます。『パリ、テキサス』は私がはじめて観たヴェンダース作品だったのですが、(冒頭にも書きましたか)元々の私の興味の焦点は彼女だったのです… 実は『ワイルド・アット・ハート』でイザベラ・ロッセリーニが最終的に演じた役どころは当初、ナスターシャ・キンスキーがやられる予定だったとかという話も聞いたことがあります。(この件に関しましては自分の記憶に自信がありませんので。あしからず)。

余談ですが、この映画の助監督であるクレール・ドニ氏は、このすぐ後に監督デビュー作である半自伝的作品『ショコラ』を撮っています。この映画、公開時に一度映画館で見てとても気に入ったのですが、その後見たいと思ってもビデオやDVDで見つけることができません… 捜せど捜せど出てくるのは同名の別映画(ジョニー・デップが出ていましたね)です…

さらに、これはもう全くの余談ですが、パリと言えば、先日精神的にかなり参っていて、どんなにお気に入りの音楽を聴いても「邪魔だな」とさえ感じていたとき、矢野顕子さんの歌うイッセー尾形氏作詞の『おおパリ』を聴いて、そのアホらしさに少し救われたということがありました…

ところで、スコセッシ監督の『タクシー・ドライバー』の彼の名も、トラヴィスでしたね…

写真:オリジナルサウンドトラック「パリ,テキサス」解説

(*文中の翻訳には私の解釈が含まれております。)

「パリ、テキサス」(原題 “Paris, Texas”)
製作:1984年 フランス 西ドイツ
監督:ヴィム・ヴェンダース
原作・脚色:サム・シェパード
撮影:ロビー・ミューラー
音楽:ライ・クーダー
助監督:クレール・ドニ
出演:ハリー・ディーン・スタントン ナスターシャ・キンスキー
第37回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品
Wim Wenders公式HP:http://www.wim-wenders.com/index.htm
私的評価:★★★★★ 98点

私も持っています。とにかくかっこよい!
パリ、テキサス(オリジナル・サウンドトラック)(紙ジャケット)

*ブログ『Days in the Bottom of My Kitchen』2010.10.13掲載

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