W・アンダーソン監督「ムーンライズ・キングダム」


夜の牛丼屋で中学生くらいのカップルを見かけたことがあります。明らかに子供なのに男の子は髪をセットしていたりして・・・ お金も何もない若い二人には、ホテルになんて(まあ、その年齢の男女がホテルに行くことの是非は別として)行くお金もないのでしょう。ぴったりよりそう二人は、すごく弱弱しくて小さくて。彼らにはお互いしかなかったのでしょう。数年たって成長したら、この男は悪いことをするやつになるのかもしれないし、女の子も、もっと大人の男に恋するんだろう。それでも、今だけは、一秒でも長く、二人が一緒にいられればよいのに・・・などと思ってしまいました。映画『ムーンライズ・キングダム』は、そんな小さくてピュアなものを見ると胸がきゅーんとなってしまう私の胸をわしづかみにしてしまった作品です。
あらすじをざっと説明しますと、時は1965年、場所はアメリカ・ニューイングランドの架空の小さな島。ボーイスカウトのサムは両親を亡くした孤児であり超問題児。島に暮らすスージーもまた情緒不安定でクラスメートに乱暴をふるってしまう変わり者の女の子。町の教会で開かれたページェント『ノアの方舟』で出会った二人はその場で恋に落ちてしまいます。文通を重ね、そして一年後、綿密(?)な計画の末、二人は愛の逃避行を決行。さて二人の行く末は…
と、こう書くと、「小さな恋のメロディ」の二番煎じのような、そしてとっても幼い子供っぽい青臭い初恋物語のような、そう、恐らく多くの大人の方はこのあらすじではそんなに食指は動かないだろうと思われる。相手をよく知らないで、そんなものは愛ではない、若さ特有のはしかみたいなもの、などと言う人もいるかもしれない。しかし、時間をかけたからといって相手がわかるものなのだろうか。主人公の二人は相手を見た瞬間、「この人だ」と確信する。大人ならもう少し相手を見てみようと考えるかもしれないが、純粋なサムとスージーにはそんな時間は必要ない。この人が自分にとって必要な人とわかってしまったのだ。

孤児であるサムはどこか遠くへ逃げることをずっと夢みていたのではないだろうか。そんな彼の目の前に現れた「ノアの方舟」のカラスに扮したスージー。このカラス、「ノアの方舟」では最初に野に放たれた動物であり、そしてそのまま帰ってこなかった動物である。サムにとってカラスのスージーは、自分を自分のKingdomに連れて行ってくれる救世主であったのだろう。一方、少女向け冒険物語を読みふけるスージーは、物語のヒロインのように、厳格な弁護士の両親のもとから逃げ出すことを夢見ているわけだが、彼女曰く「ヒロインはいつも孤児」だそうで、突然現れた孤児のサムという設定は自分に欠けているピースを完璧に埋めてくれる存在であったのだ(もちろんそんなことは最初は知らないし、そのような打算もなかったはずなのだが)。
こうして二人は出会ってしまい、二人がずっと夢見ていた遠くへ逃げるための最後のピースがこの出会いによって埋められる。大人なら、逃避行の果てに待ち受ける現実世界(住む場所はどうする?仕事は?住民票は?家族は?)を考えてしまうだろう。例えば、あの「卒業」のラストシーンの二人の顔。バスの最後部座席に座る二人の顔がこの先二人を待ち受ける現実というものを物語っている。しかし、小学生のサムとスージーにはそんな曇りは一点もない。お互いがいさえすれば幸福は約束されているのだ。
この映画の中で私が最も好きなシーンは、一年の文通の末に約束の草原で落ち合う二人のシーン(冒頭写真)。 愛する男のもとへ駆けつけたスージーが持ってきたのは双眼鏡と子猫とレコードプレイヤーと小さな黄色い(黄色いのですよ!)スーツケースにつめたお気に入りの本数冊だけ。携帯電話などもない時代、最初の出会いでほんの数言話しただけ。それ以来二人には会話というものはなかったのに、この日ここで落ち合い、旅に出るということが二人にとって当然のことであり、ずっとずっとずっと前から決まっていたことのような気さえ起こさせる。私はヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン天使の詩』のラストの出会いのシーンが大好きなのだが、この草原での再会のシーンでも『ベルリン・・・』でも、主役の二人は一度しか会ったことがないのに、愛し合っていることをもうはっきりと知っている。そういうのが、私にはなぜかすごく自然なことに感じるのだ。
さて、大人たちの追跡を逃れつつの、サムとスージーの愛の逃避行の結末はどうなるのか。二人が出会ったのはノアの方舟の宗教劇。そして二人が逃げて逃げて行きついた先もこの教会。ここで(まだ観ていない人のために誰とは書きませんが)、ノアがすべてのつがいを救ったように、この小さなつがいを救うノアの代わりとなる男が!そう、奴です!
結局、サムとスージーの見つけたKingdomは町を襲った嵐のために地図から消え、サムとスージーは「普通」の子供の生活へと戻り、「一般的」なローティーンのおつきあいをすることに… この結末に、少々がっかりしたのは私だけはないはず。しかし、しかし、最後の最後でこれはとんでもない読み違いであったということが!そう、サムの心の中にはあのKingdomは生き続けているし、きっとどこかに確実に存在している。そして、スージーの黄色いスーツケースはいつでも飛びたてるようにちゃんと準備されている!なんて素敵なエンディング!まだまだ二人の冒険は終わっていなかったのです…!
ところで、先述の私のお気に入りの旅立ちのシーン、どこか「気狂いピエロ」と重なります。先ほども書きましたように、スージーは本や音楽だけを連れて旅立つのに対し、サムはボーイスカウトで蓄えた知識を駆使したサバイバル装備。


「気狂いピエロ」では、アンナ・カリーナ扮するマリアンヌがコミック本や音楽を欲しがるのに対し、それらを否定し現実を見ようとするフェルディナン。そういえば、マリアンヌも水色のスーツケースを持っていましたね。でも、この二つの映画が大きく違うのは、「気狂いピエロ」での旅が最初から最後まで絶望に彩られていたのに対し、今回の小さな二人の旅には、不安はあるものの、希望しか見えないということ。うまくいくわけはないのだけれど、そういう小さくて無知でナイーブで無垢な者たちの希望を私はどうしても守ってやりたくなるのです。白くてきれいなものが永遠に続いてほしいと願わずにはいられないのです。例えば、ホールデンが、ライ麦畑の先の崖から落ちないように子供たちを守ってやりたいと思ったように。でも、誰しもいつまでもきれいなままではいられませんよね(私も随分きたなくなりました)。汚れちまったなあと思いつつも、正しいこころを持ち続けたいのだよと心のどこかで思っている大人の方、本作品を是非是非観てください。大人の生活には色々あるけれど、やっぱりきれいなものはきれいなんだと少し幸せな気分になれます。

『ムーンライズ・キングダム』は現在、シネリーブル神戸にて上映中!(終映日未定)

「ムーンライズ・キングダム」(原題 “Moonrise Kingdom”)
公開:2012年 アメリカ
監督:ウェス・アンダーソン
出演:ジャレッド・ギルマン、カーラ・ヘイワード、ブルース・ウィリス、エドワード・ノートン、フランシス・マクドーマンド、ビル・マーレイ

是非とも観ておきたい参考作品たち:

『卒業』1967年 アメリカ
監督:マイク・ニコルズ
出演:ダスティン・ホフマン、アン・バンクロフト、キャサリン・ロス
音楽とラストの教会シーンはもう誰もが知るところ。バスに揺られる二人の最後の表情がみものです。

『気狂いピエロ』1965年 フランス=イタリア
監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:アンナ・カリーナ、ジャン=ポール・ベルモンド
ご存知、フレンチ・ヌーベル・バーグの最高傑作!全編が一つの絵画のよう。私自身の生涯No.1作品でもあります。

『ベルリン天使の詩』1987年 フランス=西ドイツ
監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:ブルーノ・ガンツ、ソルヴェーグ・ドマルタン、ピーター・フォーク
天使マリオンのラストの告白は映画史上に残るモノローグシーンであると信じます。ベルリンの壁が崩壊する前のベルリンです。

『小さな恋のメロディ』1971年 イギリス
監督:ワリス・フセイン
出演:マーク・レスター、トレイシー・ハイド、ジャック・ワイルド
アンダーソン監督も「ムーンライズ・キングダム」のベースとなったと認めている作品。子供の頃、エンディングのトロッコでの旅立ちには随分と憧れたものでした。


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